氷上奮闘記をご覧の皆様、こんにちは。昨年度主将を務めさていただきました、文学部教育学科4年の鈴木章史です。
私は12月に開催されましたインカレをもちまして、立教大学体育会アイスホッケー部を引退しました。引退してから約3ヶ月が経過し、最近はゴルフに夢中になっております。引退後はスティックを持つ時間よりもゴルフクラブを握る時間の方が多いです。社会人になり仕事が忙しくなっても、ゴルフは必ず続けていきます。もちろん、アイスホッケーも頑張ります。
さて、本題である「17年間の軌跡」について綴らせていただきます。私がアイスホッケーに出会ったのは5歳の頃です。2歳年上の兄がアイスホッケーをしており、それを観に行ったことがきっかけでアイスホッケーを始めました。幼少期のことなので、アイスホッケーを観て何に魅力を感じて始めたのかは記憶にありませんが、いつの間にか氷上を滑れるようになっていました。そして、チームの事情でGKがいない時に私が初めてGKを務めました。悔しさのあまり大泣きしたことが私のGK人生の始まりです。小学1年生の時から試合に出場していましたが、山梨県はアイスホッケーが発展しておらず、私が所属していた富士吉田ソニックスは県外の大会では良くても1大会で1勝しかできないチームでした。その一方で、シュートはたくさん飛んできてGKとしては最高の環境でアイスホッケーに打ち込むことができました。小学生の時は関東圏のチームと試合することが多く、その中には、現在、大学アイスホッケーで活躍している選手もいます。そして、#50立石と#20齊藤は小学生からの顔馴染みです。#20齊藤はこの時から体格に恵まれていました。その中でも、普段は負けないチームに対して失点しすぎたせいで、試合中にも関わらず兄に殴られたことを今でも鮮明に覚えています。小学校6年間は大会で良い実績を挙げることができず、たくさん失点して、たくさん負けて、たくさん泣いた6年間でした。
中学校3年間は、多くの大会に参加し、自分のレベルを見つめ直すことのできた3年間でした。まず、中学校では部活動には入らず、帰宅部として放課後は自主トレーニングをすることを親と約束しました。兄は3年間続けていた気がしますが、私は両手で数えられる程度しかやらなかった記憶があります。私と同様に他の競技でクラブチームに専念する仲間が多く、その仲間と一緒に家に帰ってすぐに練習や塾が始まるまで遊び回るのが日常でした。その成果かどうかは分かりませんが、基礎体力は自然とついていたのかもしれません。アイスホッケーの面では1年生の頃から試合に出場する機会をいただきました。出場1年目は、全国大会がかかった試合で大接戦の末、負けたことが記憶に残っています。その時の山梨県代表チームは、くじ運がなければ全国大会に出場できない実力だったため、最初で最後のチャンスだと思っていました。他の大会では、小学生の時は負けて当たり前の相手にも勝つことができたり、接戦に持ち込むことができたりと、チームのレベルも自分自身のレベルも目に見えて向上していると実感できました。2年目には、初めて全国大会の舞台に立つことができました。全日本少年大会では、予選リーグを2位で通過しましたが、決勝トーナメントでは1勝もすることができずに12位で初めての全国大会を終えました。この大会で宮城県出身の#16浅野と試合をしているそうですが記憶にありません。初めての全国大会で2勝を挙げられたことと、関東圏以外の選手と試合ができたことは、自分のレベルを把握する良い機会となりました。3年目は、山梨県のチームとして、またクラブチームとしてこれまでにない成績を上げた1年間でした。まずは、全国大会の予選会では1回戦で日光中学校に完封勝利を収め、15年ぶりに全国大会出場を果たしました。当時の山梨県のチームなら、組み合わせ次第によっては全国大会でも1回戦は突破できるという自信がありましたが、いざ全国大会に行くと井の中の蛙のようでした。点差が開いても、なぜか自信がありふれていたチームでしたが、試合が終わってみると大差で負けており、私もベンチに下げられ、試合終了前には号泣していました。山梨県のアイスホッケーチームの好きなところは勝っても負けても試合後は全員で楽しむことです。これは今も国体予選や地域大会で感じていることですので、これからも山梨県のためにアイスホッケーを続けていきたいと思います。そして、クラブチームでは創設初の関東大会ベスト4に進出しました。1回戦では、#50立石と#20齊藤が所属する千葉県に勝利し(#50立石にはゴールを決められました)、2回戦では日光中学校に勝利しました。それでもベスト4の壁は厚く、西武ホワイトベアーズに敗れ、その後新横浜Jrにも敗れました。この1年間は11年間在籍したチームの最終年であったため、コーチ陣に恩返しができたと私自身は勝手に思っています。また、誰よりも怒られることが少なかったため、伸び伸びとアイスホッケーができました。そして、心置きなく卒団して日光明峰高校へ進学できました。
高校3年間は、これまでのアイスホッケー人生で最も辛く、最も楽しい3年間でした。1年目は、先輩にGKがいなかったため、入学前から部活動に参加させていただきました。入学当初は陸上トレーニングについていくのが精一杯で、メニュー次第でその日の気分が決まっていたも同然でした。陸上トレーニングは、先輩たちに追い込んでもらいながら乗り越えていく日々でした。1年目は、全試合フル出場しなければならないチーム状況であったため体調管理と怪我には気を使っていました。しかし、アイスホッケーには怪我がつきもので、関東大会では乱闘に巻き込まれ、相手のスケートが頭に降ってきました。痛みを感じながら頭を触ると、すぐに手が血だらけになり、氷上も血で染まっていました。ついに救急車で運ばれるのかと思いながら医務室に行くと、テーピングで頭をぐるぐる巻きにされ、最後まで強行出場しました。人生で初めてアドレナリンの凄さを実感しました。試合後、すぐに病院に行き、頭を5針縫いましたが、その2時間後には再び試合に出場していました。これがアイスホッケー人生で最も大きな怪我になったと思います。さらに、合宿や大会の期間中に、体調を崩してしまうのが私の悪いところでした。インターハイでは、1回戦の2日前から熱が出て、試合当日には38.5度の高熱のまま試合に臨みました。チームの皆に気づかれなかったのは、1年生の私がチーム全員の体温を管理していたからです。1年生が3人と少ない人数だったため、多くの仕事があり、一人ひとりの負担は大きかったですが、やっていて良かったと思えた瞬間でした。1年目は部員数も16人と少なく、試合にもフル出場していたので、高校3年間で最もアイスホッケーそのものを楽しめた1年間でした。2年目はコロナの影響で、6月まで全体練習ができなかったため、地元の山梨で毎朝黙々とトレーニングに励んでいました。部活動が再開されると、あっという間に田村壱桜(#33 東洋大学)に追い越され、アイスホッケー人生で初めて控え選手になりました。山梨県で活動していた時はレギュラーが当然だったため、ここにきて初めての挫折を経験しました。彼は入学当初から部活動に対する取り組みが素晴らしく、模範となる選手でした。卒業まで勝つことはできませんでしたが、模範となる選手がいたおかげで、自分の競技レベルを向上させることができました。3年目には主将になり、同期の3人と共に約30人の後輩を指導しなければならない状況でした。しかし、主将としての自信は全くありませんでした。2年目の国体では1回戦で敗退し、栃木県代表としては、近年で最も厳しい結果となりました。この深刻な状況を何とかしなければならないと考え、国体の後から毎朝7時30分に「第二体育館」と呼ばれる練習場で後輩4,5人とウエイトトレーニングを行っていました。最初は少人数でしたが、気がつくとチームの半数以上が授業前にウエイトトレーニングに取り組むようになっていました。3年目にはウエイトトレーニングだけでなく、走り込みメニューもサボらずに取り組み、主将としてホッケースキル以外の面でもチームを引っ張っていけたと自負しています。ウエイトトレーニングしすぎて走れないこともあり、顧問の先生にはウエイトトレーニングのしすぎだと言われてしまいました。この年は、練習試合が多く、試合経験を積むことができ、1年生以来の気持ちでアイスホッケーを楽しむことができました。それでも、大会前に体調を崩してしまうという悪い傾向は改善されず、地元で開催された栃木国体ではチーム内でクラスターが発生し、鬼怒川のホテルで隔離されながら静かに高校アイスホッケーを引退しました。2,3番目に症状を報告したにもかかわらず、何らかの手違いで最後に療養期間が終了しました。高校で出会った皆は、大学の試合で会うとすぐに話しかけてくれる素晴らしい仲間です。みんな、ありがとう!
大学4年間はこれまでの氷上奮闘記をご覧になってくださると嬉しいです。楽しかった思い出や悔しかった経験を綴っておりますので、ぜひお読みいただければと思います。
最後に、大友監督をはじめとするスタッフの皆様に感謝申し上げます。1年生の頃から生意気なところもあり、時には衝突することもありましたが、それも今では4年間の大切な思い出です。主将として多くの機会で関わる中で、再び衝突してしまうのではないかという不安もありました。それでも真摯に向き合い続けてくださり、本当にありがとうございました。立教大学で4年間アイスホッケーができて幸せでした。立教大学での4年間、アイスホッケーができたことは幸せです。
また、OBOGの皆様、スポンサーの皆様、昨シーズンも皆様のご支援とご声援を賜り、誠にありがとうございました。皆様のお力添えにより、チームは全力でアイスホッケーに取り組むことができました。「1部Aグループ昇格」を目指していたのにもかかわらず、「1部Bグループ残留」という残念な結果になってしまい申し訳ございません。2026シーズンには、後輩たちが皆様に「1部Aグループ昇格」の景色を見せてくれると信じております。今後とも立教大学アイスホッケー部への変わらぬご支援とご声援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。私も今後はOBOGの一員として、立教大学アイスホッケー部の力になれるよう尽力してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
最後までお読みいただきありがとうございました。立教大学アイスホッケー部の皆様、これまでありがとうございました。さようなら。